Behind the Scenes — Lee Gee Jo

The Work

白磁土の造形
李起助(イ・キジョ)が作り出す白磁は、とても洗練されていて、時代性を超えたような佇まいをしている。制作に当たっては、「造形的特徴ではなく、作業へ臨む姿勢と何より陶磁の材料となる胎土を知ることが大切」だという。
青磁に使われる土と白磁に使われる土は、全く特性が異なる。白磁に使われる土は、粘度が低く、可塑性もないため、精巧な形に作り上げるのが難しい性質を持つ。だからこそ、シンプルで洗練された様子で仕上がる。細かく造形していくことが難しい、ミニマルな表現によって作り上げられる陶磁器なのだ。作業へ臨む姿勢を大切にするということは、こうした白磁の性質と結びついている。イ・キジョは言う。

「労働の肉体性は奥深い世界です。作業・労働を遊戯のように楽しむこと。陶芸家が持つそうした風流さやその心構えから出る余裕は、そのまま朝鮮白磁に染み込んでいるのです。」

農業をする。食事をする。その同じ手で陶芸をする。陶芸だけを特別なものとするのではなく、同じように取り組むこと。そうした心構えが、白磁の制作にはふさわしいという。そうして作り出される白磁の美しさや洗練された佇まいといった、その魅力を導き出すものは、朝鮮白磁そのものの中にあるともイ・キジョは考えている。

「美の基準、韓国工芸がたどりつける範疇、作業に当たる精神や肉体の規範など、全てが朝鮮白磁のなかに結晶体のように残っています。それはきっと、一生分の作業を費やしても届くことができない、朝鮮白磁の奥深くにあるものです。」

届くことはできないかもしれないが、そうした朝鮮白磁の奥深さを知りつくし、そこに到達しようと試みることが、イ・キジョの指針となっているのだ。

使い手とともに変わる白磁
完成された白磁の器を前に、私たちの目に最初に飛び込んでくるのは、その見た目ではなく、その白磁が持つモノとしての感覚だとイ・キジョはいう。陶芸家は、思わずそれに触りたくなるようなもの、何か料理を盛りたくなるようなものを作る必要があるのだ、と。
作業を終えて美しい器が完成したとき、彼自身も何を入れて食べるのが合うのかを考えたりすることもあるそうだ。器は使うことによってこそ、生命が吹き込まれ、価値が生み出される、ということを重要視しているからだ。

作り出される器も、シンプルでクラシカルな白磁から、朝鮮白磁の歴史からインスピレーションを得つつ現代の食生活の感覚に合わせて作られたものなど、様々なヴァリエーションがある。そうした器は、使い手の個性ある演出と多様な感覚を通して、さらに姿を変えることができるとイ・キジョはいう。器の姿はもちろん、それが出される場所と時間も、使われ方次第でより魅力的なものになるのだ。シンプルだからこそ様々な姿を変えることができ、そして、そのものとしての存在感を保ち続けることが、イ・キジョの器の魅力だといえるだろう。

この時代のもの作り
陶芸家として、また今の時代を生きていく人間として、美の世界はどのような心情が形作るのか、良い器、良い陶磁器とはなにか、自ら色々な問いかけをしている、とイ・キジョはいう。そうした自問への応答として、安城での生活のスタイルや作り上げられる白磁の器がある。
胎土の性質や胎土を生み出す自然の環境について知ること、そして、自分の手で土に触れ、器を作ること。できた器に食事を盛り、食べること。そこには、私たちの暮らしの根本に触れるアイデアがたくさん潜んでいる。イ・キジョの白磁が語りかけることは、とても大きいようだ。

The Artist

暮らしと陶芸
イ・キジョは、1998年の冬以降、現在も拠点とし続けている安城にアトリエを構え、李朝白磁の手法をベースにしながら、今の時代を踏まえた白磁の制作を続けている。同地には、1995年からイ・キジョが芸術学部教授を務める中央(チュンアン)大学校のキャンパスもある。
安城は、イ・キジョの出身地である済州島と同じく豊かな自然環境に恵まれていて、また、昔ながらの民窯が至るところに存在している陶芸との縁も深い都市だという。ときには、歴史的にも貴重な白磁が出土することもあるという珍しい場所だ。ちなみに、李朝白磁は、工芸品として極めて高い水準に達し、当時から価値の高いものであったため、中央王朝が製造を管理していた。管理されていた窯のことを官窯と呼ぶこともある。

そんな安城でイ・キジョは自然とともに暮らし、制作を続けている。アトリエ兼自宅となる場所で、自給自足に近い生活を送っているというのだ。自宅では、農作物を育て、鶏を飼っている。朝と夕、自宅の周辺を散歩し、自然の様子を観察する。農作業をしながら、日々刻々と表情を変える作物に触れる。そして、それらを収穫し、美味しく食べるために器に盛る。そうした日々の生活のリズムを大切にし、その一つとして陶芸が存在するように日々の時間を作っているそうだ。

散策の途中に目に飛び込んでくる色々な情景、心をリセットするために行う瞑想、集中して制作をするときの沈黙、そして、農作物を育てる労働の時間、それら全てには、共通する要素が存在するとイ・キジョは言う。「陶芸はいつも私の生活のなかに存在している」と。 日常のなかに全てが含まれている。陶芸をする時間や食事をする時間、散策や考えをめぐらす時間。彼が言う生活のリズムは、ある意味ではとてもシンプルなものだ。自然との交流や生きていくために必要な所作、そして陶芸が一続きの境界のないものとして存在しているのだから。そのどれもが明確な姿を持っているようだ。

陶芸の在り方
イ・キジョが陶芸を始めたのは大学の2年次から。当時の韓国の陶芸作品の主流は、抽象的な表現を追求するものが多かったそうだ。器などの実際に人々が使うことができるものではなく、展示をして観賞することを目的とした陶彫作品が多く、大学でも周囲はもっぱら陶彫作品を制作していたという。イ・キジョも陶芸を始め、そして大学の修士課程に進んだ後も陶彫、つまり現代陶磁造形に取り組んでいた。
ところが、その後、制作を続けていくにあたって、イ・キジョは自身の作品のアイデンティティの在り方に疑問を抱くようになった。現代陶磁造形は、見た目の新しさ、表現技法の趣向のこらしよう、テクニックの追求など、取り組むべき価値のある要素をいくつも持ってはいるが、そうして作られた作品が、人の生活と直接的に結びついてくることは稀だと言わざるとえない。
そこで、イ・キジョは、韓国の現代陶芸の根本的な部分を再考し、その根を探し出すことから自身の制作を見つめ直すことにしたという。そうして出会ったのが、李朝白磁だった。それは、韓国においても最高の文化遺産の一つと言え、豊かな歴史を持つものだ。李朝白磁が作り出されていた時代の背景をより深く調べると、絵画や書道など、陶芸を含んだ工芸全般の水準が、現代よりもはるかに高く、今でも届かないようなスキルと時代性を持っていたことが分かったという。

そうした李朝白磁の歴史を、今の時代においてどのように引き継ぎ、作品を制作していくべきかを考えた結果が、日々の暮らしの根本を見つめ直すことへと導くことになる。自然とともに暮らし、日々の生活の中から陶芸を制作していくこと。それは、例えば過去、民窯で器を作っていた人々とも同じことだろう。「陶芸はいつも私の生活のなかに存在している」という確かな意志は、毎日の生活のリズムがあるからこそ言えることであり、そうした中からこそ、美しい白磁の器を生み出すことができるのだ。

PROFILE

李起助(イ・キジョ)
陶芸家。1959年生まれ。ソウル国立大学修士課程を修了。韓国現代白磁の第一人者として、チュンナン大学芸術学部の教授を務める。アンソンにアトリエ兼自宅を構え、畑を耕し、鶏を飼う、ほぼ自給自足の生活を営む。李朝白磁の手法を基盤とし、シンプルで使い勝手のよい白磁の器を手掛けている。料理を楽しむ心が強く反映される彼の器は、多くのバリエーションが。日常使いの器としての魅力を兼ね備える。2012年よりARTS&SCIENCEで取り扱いを開始。

INFORMATION

  • Text by Yutaka Kikutake